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前橋地方裁判所 平成3年(ワ)77号 判決

原告

星野政子

星野均

星野智恵子

右法定代理人親権者

星野均

星野政子

右三名訴訟代理人弁護士

根岸茂

島田一成

高山昇

樋口和彦

被告

医療法人山口会

右代表者理事長

山口隆久

右訴訟代理人弁護士

山岡正明

小暮清人

神谷保夫

福島武

主文

一  被告は原告星野政子に対し金八六三〇万七四八九円及びこれに対する平成三年一月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は同星野均に対し金二五〇万円、同星野智恵子に対し金一一〇万円並びに右各金員に対する昭和六三年九月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用はこれを一〇分し、その八を被告の、その余を原告らの各負担とする。

五  この判決は一、二項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告星野政子に対し一億二四七五万二六八七円、同星野均に対し五六〇万円及び同星野智恵子に対し三四〇万円並びに右各金員に対する昭和六三年九月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被告の開設する山口医院(以下「被告医院」という。)において妊娠悪阻の入院治療を受けた原告星野政子(以下「原告政子」という。)が、被告医院の担当医師の不適切な治療のため脳障害を引き起こし重篤な後遺症を残したと主張して、診療契約の債務不履行に基づく損害賠償請求として逸失利益等の損害賠償の支払を求め、また、原告政子の夫である原告星野均(以下「原告均」という。)及び原告政子の子である同星野智恵子(以下「原告智恵子」という。)が、不法行為に基づく損害賠償請求として、近親者の精神的苦痛に対する慰謝料の支払を求めた事案である。

一  争いのない事実等

1  当事者

原告政子は、昭和二八年七月一〇日生まれの主婦であり、原告均は、原告政子の夫(昭和二四年一〇月二二日生まれ)、原告智恵子は、原告均及び原告政子の長女(昭和五三年九月五日生まれ)である(争いのない事実)。

被告は、産科、婦人科を専門とする医療法人であり、桐生市において被告医院を開設している(争いのない事実)。

被告医療法人の理事長である山口隆久は、被告医院の、院長を勤める医師(以下「山口院長」という。)であり、名古純一(以下「名古医師」という。)は、原告政子が後記のとおり被告医院で診察、治療(以下「本件治療行為」という。)を受けた当時、被告医院に勤務する医師であった(被告代表者、証人名古純一)。

2  診療経過等

原告政子は、昭和六二年三月六日、生理の遅れを訴えて被告医院を訪れた際、卵巣機能不全と診断されたが、その後、挙児を希望し、同月二七日以降、被告医院において、ホルモン療法、排卵誘発剤の投与などの治療を受けていた(〈書証番号略〉)。

原告政子は、同年一〇月、妊娠し、同年一一月六日、被告医院において妊娠が確認された(妊娠六週、分娩予定日、昭和六三年七月二日)。

原告政子は、妊娠後、悪阻症状が発来したため、被告医院に通院して悪阻治療を受けたが、担当医師である名古医師は、ビタミン総合剤は悪心、嘔吐を助長するとしてこれを使用せず、ビタミンB6三〇ミリグラムを使用することとし、原告政子に対し、同月二九日まで、計二一回、五パーセントブドウ糖二〇シーシー+ビタミンC五〇〇ミリグラム+ビタミンB6三〇ミリグラム+タチオン(肝庇護剤)二〇〇ミリグラムを静注(静脈注射)した(乙三、証人名古純一)。

しかしながら、原告政子は、一一月初めこそ粥を口にすることはできたものの、吐き気が強く、嘔吐が続き、同月末頃は、粥すら口にすることができない状態となり、強い不眠にも悩まされ、症状が改善しなかった(原告星野均本人)。

そのため、原告政子は、昭和六二年一一月三〇日、被告医院に入院して治療を受けることとし、同日、被告との間において、悪阻の症状に応じた適切な治療行為を行うことを内容とする診療契約(以下「本件診療契約」という。)を締結した(争いのない事実)。

原告政子は、同日、被告医院に入院し、絶食療法を受けたが、症状は改善せず、食物をまったく食べることができなかった。

名古医師は、原告政子に対し、ポタコールR(糖質電解輸液)五〇〇シーシー+ビタミンC五〇〇ミリグラム+タチオン二〇〇ミリグラムやラクテック(乳酸リンゲル剤)五〇〇シーシー等一日当たり二〇〇〇シーシーの点滴を施したが、通院中と同様、右点滴液中にビタミンB1を混入することをしなかった。

その後、山口院長は、原告政子についてウェルニッケ脳症の疑いを抱き、昭和六三年一月八日、ビタミンB1二〇ミリグラムを投与するなどした。

被告医院は、同月九日、原告政子を群馬大学附属病院(以下「群大病院」という。)産婦人科に転送した。

被告医院入院中の被告の治療経過及び原告政子の症状は、別紙「入院中経過一覧表」のとおりである。

(〈書証番号略〉)

3  退院後の経過

原告政子は、群大病院産婦人科入院時、強度羸痩(るいそう=死亡組織が消失して極度に痩せる症状。マイナス三四パーセント、総蛋白4.5グラムパーデシリットル)、貧血、傾眠状態であったが、群大病院産婦人科で、高カロリー輸液、ビタミンB群の補給を行ったところ、次第に意識が清明になった。しかし、夜、大声で騒いだり、不可解な言動をとる等精神障害が目立つようになり、同年二月一〇日、人口妊娠中絶の施術を受けた(〈書証番号略〉)。

原告政子は、同月一六日、群大病院産婦人科から、同精神神経科へ転科し、ウェルニッケ・コルサコフ症候群(非アルコール性)と診断された。

原告政子は、その後、意識障害がやや軽快したことから、同年五月二五日に群大病院を退院し、群大病院精神科外来となったが、その後も異常な興奮や全身の震え、激しい怒りの症状の出現が止まず、症状が徐々に進行したので、同年一二月二一日、群大病院神経内科に再入院し、平成二年二月二七日に退院した。原告政子は、退院時、上半身の震えは止らず、自分で直立できるのは三〇秒足らず、歩行はまったくできないという状態であったので、その後、全身的な機能回復訓練を主たる目的として、希望の家療育病院に通院、足尾双愛病院に入院、再度の精査も目的として自治医科大学付属病院神経内科に入院したが、その後は、日高病院、沢渡温泉病院に入院するなどして現在に至っている(〈書証番号略〉、原告均本人)。

4  現在の症状

原告政子は、歩くことはできず、上体を起こすにも背もたれが必要であるほか、座っていても上体が揺れてしまう状態であり、車椅子での生活をしているが、車椅子も十分に動かせず、日常生活には介護が必要であり、車椅子の乗り降り、排尿排便等には介助が必要である。また、原告政子は、上半身と手の震えが止らず、言語も不自由であり、現在、身体障害者等級二級の認定を受けている(〈書証番号略〉、証人山同啓子、原告均本人)。

二  争点

本件の主な争点は、被告の本件治療行為と原告政子に生じた脳障害との間に因果関係があるか否か、また、原告政子に生じた脳障害について被告に予見可能性があったか否かである。

三  原告の主張

1  原告政子の症状

原告政子に生じた脳障害は、ウェルニッケ脳症ないし妊娠悪阻第三期の脳障害である。

2  被告の過失と因果関係

被告は、遅くとも昭和六二年一一月三〇日の時点で、原告政子を悪阻と診断し、原告政子を被告医院に入院させたのであるから、被告は、原告政子の悪阻の症状の経過、特に治療が困難となる脳神経症状が発現することのないよう十分に注意しながら悪阻の症状に応じた適切な治療法を施す注意義務があった。

すなわち、原告政子は、悪阻症状が重く、被告医院に入院する以前から食事を摂ることができず、入院(四一日間)中、番茶以外に経口摂取ができず、番茶も吐くほどのほとんど絶食に近い状態であったのであるから、被告は、原告政子に対し、通常の絶食期間にすべき大量の糖質、電解質、ビタミンB1他のビタミン類、水分等を投与することはもちろん、その他アミノ酸、脂質等も混合した大量輸液を行う注意義務があった。

また、原告政子は、昭和六二年一〇月三〇日に被告医院入院後も、番茶を除いては殆ど経口摂取することができず、同年一二月一六日になっても、尿中アセトン体(++)、血清カリウム3.0と栄養失調状態が改善せず、同月一九日には体重が36.5キロとなり、また、同月二日頃から発現した大声、不眠、夜驚症の脳症状に対し、中枢神経系の抑制剤であるホリゾンを使用し、さらにコントミンの二分の一アンプルに強化したが、それでも足りず同月一八日からはコントミンを二倍に増加しなければならなかったという状況にあった。

したがって、被告は、遅くとも同月二〇日には、原告政子が栄養失調(飢餓状態)、重症悪阻の重症化(二期から三期(脳症状)への移行)、ビタミンB1欠乏症の症状を経て、そのまま経過すれば不可逆的な脳障害を発症するであろうことに気づき、重症悪阻の重症化(二期から三期(脳症状)への移行)の防止の措置を講じ、また、栄養失調、ビタミンB1欠乏症へ対処するため、高濃度の糖質、アミノ酸、脂質の投与、ビタミンB1の大量投与を行うか、又はこれらの措置を行うためしかるべき病院に転院させるべき注意義務があった。また、重症悪阻の重症化(三期(脳症状)への移行)を防止するため、前記措置と選択的人口中絶を行うべき注意義務があった。

しかるに、被告は、原告政子の悪阻の症状の進行状況に注意しながらその症状に応じた適切な治療(特にブドウ糖液や電解質溶液に各種ビタミン剤や肝庇護剤を混合した大量補液)をすることを怠り、これによって、原告政子に対し、栄養障害、特にビタミンB1不足によって引き起こされる脳障害(ウェルニッケ脳症ないし妊娠悪阻第三期の脳障害)を生ぜしめたものである。

3  予見可能性

医療水準以前の問題として、長期間ビタミンB1(人体の代謝に不可欠であり、かつ、妊婦に不足を生じやすい。)の投与が皆無であった場合、人体に障害を生ずることは一般常識であり、また、妊娠悪阻に関するどの文献においても、悪阻症状が進行すると脳症状が発現するとされている。

原告政子は、昭和六二年一一月六日に悪阻が発現して以来、殆ど食事を摂れないまま、症状の改善がみられず、体力が極度に衰弱していく中で、漫然と糖液を主とした輸液を受けていたものであるが、妊娠中はビタミンB1需要が増大すること、悪阻により経口的にビタミンB1が摂取できないこと、糖質輸液により更にビタミンB1の消費が亢進すると考えられることから、原告政子に、ビタミンB1その他の栄養不足による身体障害が生じることは必然であり、このことは当然に、被告にとって予見可能であった。

特に、被告は、一般的に悪阻の患者に対するビタミンB1投与の重要性が指摘されているにもかかわらず、あえて原告政子の輸液中にビタミンB1を加えない方法を取り、しかも、原告政子には著明な羸痩や衰弱が進行していたのであるから、原告政子のビタミンB1不足について特に注意深く観察すべきであった。被告の診療上の過失は、初歩的かつ重大である。

4  被告の責任

右のとおり、被告は、原告政子に対し、診療契約上の債務不履行によりウェルニッケ脳症ないし妊娠悪阻第三期の脳症状を生ぜしめたものであるから、これによって原告政子の被った後記損害を賠償すべき責任がある。

また、被告は、過失により原告政子に右のような重大な症状が生じさせたものであるから、原告政子の夫である原告均及び原告政子の子である原告智恵子がこれによって被った精神的損害を賠償すべき不法行為責任がある。

5  損害

(原告政子)

(一) 付添看護費

三一二四万八九〇〇円

(内訳)

(1) 昭和六三年九月一日から同年一二月二〇日まで一一一日×一日当たりの介護費四五〇〇円=四九万九五〇〇円

(2) 平成二年二月二八日(群大病院退院の翌日)から同年一二月三一日まで三〇七日×四五〇〇円=一三八万一五〇〇円

平成三年分以降

4500円×365日×平均余命46年のライプニッツ係数17.88=2936万7900円

(二) 入院雑費

五二万〇八〇〇円

昭和六三年一二月二一日から平成二年二月二七日まで四三四日×一日当たり一二〇〇円=五二万〇八〇〇円

(三) 家屋改造費 五〇〇万円

原告政子は独立歩行ができず室内を這って移動する状態であるから、これに対応できるように家屋を改造する必要がある。

(四) 逸失利益

五五九八万二九八七円

(内訳)

得べかりし年収二七六万〇二〇〇円(昭和六三年賃金センサス)

後遺症による労働能率喪失率一〇〇パーセント

年度昇給率五パーセント

(1) 昭和六三年九月一日から同年一二月三一日まで一二二日分

二七六万〇二〇〇円×(一二二日÷三六五日)=九二万二五八七円

(2) 昭和六四年(平成元年)分

276万0200円×1.05五=289万8210円

(3) 平成二年分

276万0200円×1.05×1.05五=304万3120円

(4) 平成三年以降分

276万0200円×1.05×1.05×1.05×就労可能年数30年のライプニッツ係数15.3724=4911万9068円

(5) 入通院慰謝料 二〇〇万円

(6) 後遺症慰謝料 二二〇〇万円

(7) 弁護士費用 八〇〇万円

計一億二四七五万二六八七円

(原告均)

(一) 近親者慰謝料 五〇〇万円

(二) 弁護士費用 六〇万円

計五六〇万円

(原告智恵子)

(一) 近親者慰謝料 三〇〇万円

(二) 弁護士費用 四〇万円

計三四〇万円

四  被告の反論

1  原告政子の精神症状

原告らは、原告政子の精神症状がウェルニッケ脳症である旨主張するが、原告政子の精神症状が何であるかについて確定診断はついていない。

ウェルニッケ脳症とは慢性アルコール中毒、ビタミンB1欠乏症等が原因と考えられている症状であって、その症状は急激に始まり、意識障害、健忘症候群、振戦、せん妄様の精神症状及び種々の程度の動眼神経麻痺、小脳失調、眼振等の神経症状がみられ、多発神経炎、視神経炎などを伴うこともあるとされている。予後は不良で、死を免れてもコルサコフ症候群を残すことが多く、その治療はビタミンB1の投与が効果的であり、眼筋麻痺については直ちに軽快するといわれている。ただし、多発神経炎や失調はビタミンB1投与では軽快しにくいので、本症の全てをビタミンB1欠乏で説明することは困難であり、アルコール中毒、体質的因子も働いて発症するといわれている。

原告政子の症状は、急激性がなく、ウェルニッケ脳症の症状とは異なる。

2  被告の治療行為

被告が、当初重症妊娠悪阻との診断に基づき、妊娠悪阻に対する治療を行ったことに何らの過失はない。

被告は、原告政子に対し、被告医院に入院後、①ポタコールR五〇〇シーシー+ビタミンC五〇〇ミリグラム+タチオン二〇〇ミリグラム、②ラクテック五〇〇シーシー等を一日二回合計二〇〇〇シーシーの大量輸液を開始し、妊娠悪阻に対し一般的に要求されている輸液は行っており、被告がした妊娠悪阻に対する本件診療は医学的に見て適切なものである。

妊娠悪阻に対する輸液療法においては、ビタミンB1の薬剤を輸液中に加えて投与すると何でもない人でも悪心、嘔吐を起こしやすいため、ビタミンB1の製剤や全ビタミンの複合剤を添加しないこととされている。

悪阻の治療として、ビタミンB1を投与することはベターな治療である。しかし、嘔吐が強いような場合にはその症状を更に増長させる危険性もあるので、そのような場合には、これを絶対に使わなければならないというものではないとされている。したがって、本件において被告のとった輸液療法は、適切さを欠くものとまではいえない。

また、被告は、原告政子の症状にウェルニッケ脳症の疑いが生じた昭和六三年一月八日には直ちにビタミンB1の投与も行っており、群大病院に転医の際前記のようにたまたま同症例を扱ったことのある総合病院より得た知識を群大病院にアドバイスし、群大病院の診断に大きな寄与しているのであるから、この点においても問題はない。

原告らは、人工妊娠中絶が必要であったと主張する。しかしながら、被告は、外来治療、入院治療も、十分注意して行っていた。原告政子の食欲もあったりなかったりであり、被告は、栄養補給と電解質の補給等の治療を続け、後に、嘔吐を抑える薬も使用した。原告政子は、昭和六三年一月に入ってからも少なくとも一月七日までは食欲も出てきたりしており、意識も明瞭であった。また、全身的な栄養状態も悪くはなかった。原告らからも中絶を求める希望も無かったし、むしろ挙児希望であり、それとの関連で絶えられないほどの極度の衰弱はなかった。原告らからの中絶希望は昭和六三年一月八日からであり、そのときには体力的に無理であった。

被告は、昭和六三年一月八日、高カロリー栄養であるイントラリビートを投与した。同月九日、イントラリポス点滴後、原告政子が胸内苦悶を訴えたので、被告は、中心静脈栄養の必要を考慮し、安全管理上原告政子を群大病院に送ったが、右の日以前は、高カロリー栄養までは必要なかった。

被告医院では産婦人科開業医としての最善の方法を尽くして治療を行ってきたものであり、昭和六三年一月八日には内科医、脳外科も受診させ、十分な注意を払ってきた。同月九日段階では中心静脈栄養管理の面から転院が相当であったが、それ以前には二次病院に転送すべき義務はなかった。

3  因果関係

原告政子の精神症状について確定診断がなされていない以上、その原因も不明であり、被告の治療行為との因果関係も不明である。

仮に、原告政子の精神症状がウェルニッケ脳症だとしても、ウェルニッケ脳症の発症病理については複雑多様な因子の関与が考えられ、単なるビタミンB1の欠乏のみでなく、アルコール中毒、その他の要因や体質的因子も働いて発症することが推定されるといわれているのであるから、本症のすべてをビタミンB1欠乏で説明することも困難であり、したがって、原告政子の右の症状が被告の治療行為から引き起こされたものであるとは直ちにはいえない。

なお、本件においてビタミンB1は投与されなかったが、原告政子には脚気すなわちビタミンB1欠乏症状は出ていなかった。

4  予見可能性

昭和六二年一一月当時(本件診療時)、被告において、ビタミンB1を投与しなかったことにより原告政子に脳障害が生じることを予見することは不可能であった。重症妊娠悪阻から引き続いて発生したというウェルニッケ脳症の日本産婦人科領域における報告例は二例であるが、一例は平成五年のものであって、本件以前では一例のみであった。

他方、群馬大学医学部産婦人科五十嵐正雄教授(当時)の著書「産婦人科診療指針」第四版(昭和五八年)及び北里大学医学部産婦人科島田信宏助教授(当時)の著書「写真でみる周産期の母児管理」にビタミンB1欠乏によるウェルニッケ脳症発生の記載はなく、また、内外の教科書や臨床指導書あるいは日本における臨床雑誌の特集等に記載されている妊娠悪阻の項を通覧しても、昭和六二年以前に脳障害、特にウェルニッケ脳症についての記載は皆無である。

したがって、昭和六二年一一月当時の医療水準を前提として、ウェルニッケ脳症とはいわなくとも何らかの脳障害を予見できたのは、日母医報に載った昭和六三年三月以降であり、それ以前には不可能であった。

さらに、ビタミンB1欠乏という観点からも、原告政子の症状、所見のうえからも、脚気即ちビタミンB1欠乏症状は出ていなかったから、その結果の脳障害の発生を予見するのは到底無理であった。

第三  当裁判所の判断

一  原告政子の脳障害について

1  ウェルニッケ脳症とは、外眼筋麻痺、失調症、健忘症候群を中核とする脳炎様疾患であり、その原因はビタミンB1の欠乏であると考えられている。ビタミンB1の欠乏を起こす原因は多彩であり、慢性アルコール中毒、胃腸障害、不適当な食事、胃癌、妊娠悪阻等が誘因となるとされている(〈書証番号略〉、鑑定)。

原告政子は、平成元年二月二七日、群大病院神経内科において、ウェルニッケ脳症と診断された(〈書証番号略〉)。

2  これに対し、被告は、原告政子の症状はウェルニッケ脳症の一般的症状である急激性がないこと、一般ウェルニッケ脳症のうち眼筋麻痺についてはビタミンB1の投与により直ちに軽快するといわれているにもかかわらず、原告政子はビタミンB1の投与後直ちに軽快したとはえいないこと等から、原告政子の症状はウェルニッケ脳症ではないとした上、群大病院における診断は、当初疑った脳外科的障害が検査の結果否定されたことによるものであり、ウェルニッケ脳症は否定できないという程度の診断でしかないこと、群大病院の診断書には、ウェルニッケ脳症との診断のほかラムゼイハント症候群型の脊髄小脳変性症との診断も記載されていること等から、群大病院の右診断も確定的なものであるかどうか疑わしいと主張する。

3  しかしながら、証拠(〈書証番号略〉、証人名古純一、原告星野均本人、被告代表者)によれば、次の事実が認められる。

原告政子は、昭和六二年一一月三〇日被告医院入院後、同年一二月六日頃から夜大声を出してわめいたりしたため、ホリゾン、コントミン等をほぼ連日筋注され同月半ばからトイレに行くとき酔った人のようにふらついて歩き、何かにつかまらないと用をたすことができなくなった。

また、原告政子は、同月三一日から口数が減り、翌六三年一月一日からぐったりとして開眼したまま話もほとんどしなくなり、その数日後から流涎著明、尿失禁するようになり、同月八日には、腹部が膨満し導尿が行われ、四肢を動かさず、傾眠がちとなり、内科医や桐生厚生病院でCT検査を受けたが、頭部CTには異常がなかった。

山口院長は、その頃、総合病院に勤務する次男から原告政子と同症状の事例を聞いて、原告政子についてウェルニッケ脳症の疑いを持ち、ビタミンB1を投与するなどした。

原告政子は、同月九日、意識障害が強くなり、被告医院を退院し、群大病院産婦人科に転院した。

同科は原告政子に強度羸痩(マイナス三四パーセント、総蛋白4.5グラムパーデシリットル)、垂直性眼振が認められたことから、ビタミンB1欠乏症を疑い、高カロリー輸液、ビタミンB群の補給を行った。

同科の諸検査の結果、CT(造影)、髄液、血液ガス、電解質、血中アンモニア濃度、血糖、BUN、ECGには異常がなく、血液生化学上GOT、GPTの軽度の上昇、総蛋白の低下(4.5グラムパーデシリットル)、貧血が認められ、両側眼底に炎の形の出血が認められたが、ビタミンB1の測定はできなかった。

また、原告政子には、頚部硬直はなく、深部反射は正常、病的反射は認められなかったが、起立が不能、顔面の筋攣縮が認められた。

原告政子は、高カロリー輸液、ビタミンB群の補給により、次第に意識が清明になったが、大声で騒いだり、不可解な言動をとる等精神障害が目立つようになり、同年二月一六日、同科から原因精査のため精神神経科に転科した。

その際、産婦人科は、原告政子の症状について栄養障害による両側性の広範な小脳脳幹障害が原因で、精神症状はそれによる症状精神病ではないかと考え、また、精神神経科では、入院時、症状強度の羸痩(マイナス三四パーセント)、失見当識(時、場所)、軽度の意識障害(Ⅰ―2〜3)、時にせん妄症状、眼振(上方、両側性)、失調(経過中に失調性歩行)、企図振戦(現在はっきりしない)、下顎反射陽性、暫定診断名ウェルニッケ脳症、鑑別診断名脳幹部の腫張、出血、梗塞とした上で、ビタミンB1の大量投与、羸痩に対しIVH・流動食、せん妄に対しHPD等の投与、鑑別診断のためNMRを行う旨の治療計画を立てた。

同科は、同月二三日頃はウェルニッケ脳症としては典型的ではないとの所見もあったが、入院後の症状・経過から、やはりウェルニッケ・コルサコフ症候群の可能性が一番大きいと判断して治療を継続した。

原告政子は、NMRによっても、小脳幹部を含め、特に異常所見は認められなかった。

同科入院中診察を受けた群大病院耳・前庭外来は、原告政子の症状をウェルニッケ脳症の眼振と類似していると診断し、また、精神神経科は、同年四月四日、原告政子について、症状として、羸痩、失見当識(時、場所)、意識障害(せん妄を呈することもあり)、眼振(両側、垂直性)、失調性歩行、顔面の筋攣縮、眼底出血、記銘力障害、逆行性健忘、易疲労、性格変化(感情の平板化、幼児的)があり、非アルコール性ウェルニッケ・コルサコフ症候群と診断した。

原告政子には、同月一一日頃から頭部を上下に振る不随意運動が見られたが、これに対する群大神経内科外来の所見は、右の頭部振戦以外の症状はウェルニッケ・コルサコフ症候群から生じ得るとし、右頭部振戦の症状本能性、薬物に誘発された原疾患(ウェルニッケ・コルサコフ症候群)と同じ病因等の原因が考えられるが決めかねるというものであった。

原告政子は症状が悪化し、原因の精査のため同年一二月二一日から平成二年二月二七日まで群大病院神経内科に入院したが、同科の大澤多美子医師は、退院の際、原告政子がウェルニッケ脳症である旨の診断書を作成した。

また、自治医科大学附属病院神経内科は、平成三年二月二一日頃、原告政子の頭部振戦をウェルニッケ脳症後の後遺症と考えていた。

なお、群大病院神経内科大澤多美子医師は、医療費請求のための平成元年二月一七日付け診断書にはラムゼイハント症候群型の脊髄小脳変性症である旨の記載をしたが、その後所見を改め、同月二七日付け診断書にはウェルニッケ脳症である旨の記載をした。

そうすると、以上の事実を総合すれば、原告政子の脳障害の症状はウェルニッケ脳症と認めるのが相当であり、被告の前記主張は採用することができないものといわなければならない。

二  因果関係について

1  原告政子が、昭和六二年一〇月に妊娠後、同月中旬から嘔気、嘔吐等の悪阻症状に陥り、被告医院に通院して点滴等の悪阻治療を受けていたが、同年一一月初めこそ粥を口にすることはできたものの、吐き気が強く、嘔吐が続き、同月末頃は、粥すら口にすることができない状態であったこと、被告医院に入院後、絶食療法を受けたが、症状は改善しなかったこと、悪阻発来後の原告政子の経口的摂取量は極めて少量であったこと、通入院時とも糖質等の輸液を受けていたが、名古医師はビタミン総合剤は悪心、嘔吐を助長するとして使用せず、あえてビタミンB1を輸液中に混入しなかったこと、原告政子がビタミンB1欠乏状態によってウェルニッケ脳症に陥ったこと、以上の事実は前記認定のとおりである。

2  ところで、ビタミンB1は糖質の中間代謝の補酵素として重要であって、一日一〇〇〇カロリーごとに0.54ないし1.3ミリグラムを最小限度必要とし、摂取されない場合には一八日間で涸渇するものであり、したがって、ビタミンB1欠乏患者に糖質を大量投与することはB1の需要を増大させ、欠乏状態を促進し、ウェルニッケ・コルサコフ症候群を誘発させ、昏睡、突然死する場合もあるといわれている(〈書証番号略〉)。

3  そうすると、原告のウェルニッケ脳症はビタミンB1欠乏状態の発症したものであるところ、このビタミンB1欠乏状態は被告が糖質の輸液を行いながらビタミンB1を投与しなかった本件治療行為によるものというべきであるから、被告がした本件治療行為と原告政子のウェルニッケ脳症の発症との間には因果関係があるものといわなければならない。

なお、ウェルニッケ脳症の発症について、ビタミンB1欠乏症以外の因子の関与を指摘する見解もあるが、本件においては、原告政子のウェルニッケ脳症の発症がビタミンB1欠乏症以外の因子の関与によるものであることを窺わせる事情は認められない。

三  予見可能性について

1  証拠(〈書証番号略〉、証人名古純一、被告代表者)によれば、次の事実が認められる。

被告医院では、悪阻の患者に対しては平素ビタミンB1も混入されている総合ビタミン剤を使用していた。

毎年発行される「今日の治療方針」の昭和六二年度版には、悪阻の治療について、ビタミンB1に関する記載はないが、それ以前の同書には、ビタミンB1が必要であることが記載されていた。

「産科と婦人科」五二巻一〇号(昭和六〇年一〇月号)、「臨床神経学」二五巻五号(昭和六〇年五月号)、「日本内科学雑誌」七六巻、「最新医学」四二巻一〇号(昭和六二年一〇月号)、「日本医事新報」三三一号(昭和六二年一〇月三日号)で、妊娠悪阻によるウェルニッケ脳症の症例報告が掲載されており、特に「産科と婦人科」雑誌は、名古医師もその存在を知っていた。

なお、島田信宏「写真で見る周産期の母児管理」(昭和五五年発行)ではビタミンB2や全ビタミンの複合剤は、悪心、嘔吐を起こしやすい性質があるから、これらを悪阻治療の輸液に添加すべきでないとするが、ビタミンB1については触れるところがなく、むしろ、同書は、妊娠悪阻に対する絶食治療は通常数日あって、ビタミン不足を考慮する必要はないという前提で記載されている。

2  また、一般に、ビタミンB1は糖質の中間代謝に不可欠であり、しかも、妊婦に不足を生じやすいものであったのであるから、右投与が皆無であった場合には人体に障害を惹起しかねないことは当然予測できることであり、また、悪阻症状が進行すれば脳症状が発現するとされていることは前記のとおりである。

そして、証拠(〈書証番号略〉)によれば、原告政子は、昭和六二年一一月六日に悪阻が発現して以来、ほとんど経口的に食事を摂ることができず、同月三〇日に被告医院に入院した後も、番茶を除いては殆ど経口摂取することができなかったこと、同年一二月一六日になっても栄養失調状態は改善せず、同月一九日には体重が36.5キロに減少したこと、同月二日頃から発現した大声、不眠、夜驚症に対し、中枢神経系の抑制剤であるホリゾンを使用し、更にコントミンの二分の一アンプルに強化したが、それでも足らず同月一八日からはコントミンを二倍に増加しなければならなかったという状況にあったこと、以上の事実が認められる。

そうすると、被告は、遅くとも同月一八日ごろには、糖液を主とした輸液を継続するこれまでの治療方法について見直しをすることによって、妊娠のためビタミンB1の需要が増大している原告政子に対してビタミンB1の消費が更に亢進する糖質輸液を継続するならば、原告政子がビタミンB1欠乏症に陥り、その結果、原告政子に脳障害が生じるであろうことに気付くことが可能であったものとみられる。

3 以上の事実によれば、被告は、本件治療当時、自己の治療行為によって原告政子に脳障害が発症することについて、予見が可能であったものといわなければならない。

4  なお、被告の診療録には、原告政子に浮腫、心肥大、頻脈等のビタミンB1欠乏症の徴表のあることが記録されていないが、そもそも被告は、ビタミンB1欠乏症の徴表の有無について考慮を払っていなかったものであるから、診療録に右の記載がないからといって、直ちにビタミンB1欠乏症の症状が存しなかったとまでは認めることはできない。

四  被告の責任

1  債務不履行

以上によれば、被告は、昭和六二年一二月二〇日前後には、原告政子について、自ら高濃度の糖質、ビタミンB1の大量投与を行い又はこれらの措置を行うことが可能な設備の調った病院に転院させるなどして、重症悪阻のさらなる重症化及びビタミンB1欠乏症に起因するウェルニッケ脳症等の脳障害の発症を防止すべき注意義務があったのに、これを怠ったものであり、本件診療契約について不完全履行があったものというべきであるから、被告には、本件治療行為について、債務不履行責任があるものといわなければならない。

2  不法行為

また、原告政子のウェルニッケ脳症は、被告の事業の執行として本件治療行為を行った名古医師の過失によるものであるから、名古医師の使用者である被告には、民法七一五条の使用者責任があるものというべきである。

五  原告政子の損害

1  付添看護費

一〇七万一〇〇〇円

原告政子は、昭和六三年五月二五日群大病院精神科を退院後、平成元年一二月二〇日、再び群大精神神経科に入院するまでの間のうち、少なくとも昭和六三年九月一日から同年一二月二〇日までの一一一日間、並びに、平成二年二月二七日同科退院後、同年七月五日双愛病院に入院するまでの間のうち、少なくとも同年二月二八日から同年七月四日までの一二七日間、実家で寝たきりで、両親や原告均らの介護を受けた(〈書証番号略〉、原告星野均本人)。

右両親や原告均ら近親者の付添看護費は一日当たり四五〇〇円が相当である。

(算式)

(一一一日+一二七日)×四五〇〇円=一〇七万一〇〇〇円

なお、原告政子は、将来の付添看護費を損害として主張するが、原告政子は、その後、自治医科大学付属病院、日高病院、沢渡温泉病院にそれぞれ転院して、自宅での介護を受けておらず、原告均は、原告政子がある程度車椅子を動かせるようになれば、自宅に引き取ることを考えているが、その時期は不確定な状態である(〈書証番号略〉、原告均本人)。

そうすると、現時点においては、将来の付添看護費相当の損害は未だ確定しておらず、これについての損害賠償請求権は未だ具体的には発生していないものといわざるを得ない。

2  入院雑費 五二万〇八〇〇円

昭和六三年一二月二一日から平成二年二月二七日まで四三四日間について一日一二〇〇円が相当である。

3  家屋改造費 五〇〇万円

原告政子の退院の時期は不確定ではあるものの、退院の蓋然性は高く、その場合、車椅子で移動する等、原告政子の症状に対応して自宅を改造する実用があり、改造費として約二五〇〇万円が見込まれる(原告均本人)。

したがって、少なくとも原告政子の主張するうち五〇〇万円は被告の本件債務不履行による損害とみるのが相当である。

4  後遺症による逸失利益

五一七一万五六八九円

原告政子は、本件の後遺障害(身体障害者等級二級・労働能力喪失率一〇〇パーセント)がなかったならば、同一年齢の女子労働者の所得と同額の所得が可能であったとみられるが、その金額は次のとおり五一七一万五六八九円と算定される。

(一) 昭和六三年九月一日から同年一二月三一日までの一二二日分

賃金センサス昭和六三年第一巻一表女子労働者学歴計(三五歳から三九歳)の年収二七六万〇二〇〇円×(一二二日÷三六五日)=九二万二五八七円

(二) 昭和六四年(平成元年)分

賃金センサス昭和六四年(平成元年)第一巻第一表女子労働者学歴計(三五歳から三九歳)の年収二八八万〇四〇〇円

(三) 平成二年

賃金センサス平成二年第一巻第一表女子労働者学歴計(三五歳から三九歳)の年収三〇九万〇八〇〇円

(四) 平成三年以降

賃金センサス平成三年第一巻第一表女子労働者学歴計(余年齢)の年収296万0300円×就労可能年数29年のライプニッツ係数15.14=4482万1902円

5  慰謝料 二〇〇〇万円

原告政子が、被告の本件治療行為に基づく後遺症によって精神的苦痛を受けたことは明らかであるが、その慰謝料は、治療の経緯、後遺症の程度等考慮し、二〇〇〇万円をもって相当と認める。

6  弁護士費用 八〇〇万円

弁護士費用のうち、被告の本件治療行為と相当因果関係のある金額は、本件訴訟の難易程度、審理期間、認容金額等の事情を考慮し八〇〇万円をもって相当と認める。

7  損害合計

八六三〇万七四八九円

六  原告均・原告智恵子の損害

1  慰謝料

原告政子が被告の不適切な治療行為に基づいて本件の後遺症を残し、これによって、その夫である原告均及びその子である原告智恵子が多大な精神的苦痛を受けたことは明らかであるが、その慰謝料は、原告政子の後遺症の程度、原告政子の慰謝料請求の認容金額等の事情を考慮し、原告均について二〇〇万円、原告智恵子について一〇〇万円をもって相当と認める。

2  弁護士費用

弁護士費用のうち、被告の本件治療行為と相当因果関係のある金額は、本件訴訟の難易程度、審理期間、認容金額等の事情を考慮し、原告均について五〇万円、原告智恵子について一〇万円をもって相当と認める。

第四  結論

以上によれば、債務不履行による損害賠償請求権に基づく原告政子の請求は、八六三〇万七四八九円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成三年一月一七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があるがその余は理由がない(なお、原告政子は昭和六三年九月一日以降の遅延損害金の支払を求めているが、診療契約の債務不履行による損害賠償債務は履行の請求を受けた時に履行遅滞となるものであるから、それ以前の遅延損害金の請求は理由がない。)。

また、不法行為による損害賠償請求権に基づく原告均及び同智恵子の請求は、原告均については二五〇万円、原告智恵子については一一〇万円及びこれに対するいずれも不法行為後の昭和六三年九月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があるがその余は理由がない。

よって、原告らの請求は右の限度で正当としてこれを認容し、その余は失当として棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官山口忍 裁判官高田健一 裁判官鈴木正弘は、転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官山口忍)

別紙入院中経過一覧表〈省略〉

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